体罰反対(7)

橋下市長と、名指しで批判された小倉キャスターがTVで論戦。
双方論客なので、面白そうな企画でしたが、互いに牽制し合っているようにも見えました。
残念ながら、TVタックルとか、たかじんのそこまで言って委員会のようなバトルにはなりませんでした。
2時間くらい時間をとったら面白いだろうなと思いました。


橋下市長の主張は、聞いていて、よく分かりませんでした。
その理由は、論理の飛躍があるからだと思います。
1.体罰教師の責任が、なぜ受験生に及ぶのか。
2.体罰の被害者であるはずの在校生も、なぜ連帯責任となるのか。
3.体罰をしていない、むしろ反対の教師もいるはずなのに、なぜ全員を異動させるのか。
4.入試を中止しない場合、予算の執行を止める理由
この辺が分からないのです。


1について
市長は、新入生を受け入れる体制にないと言います。
しかし、受験者は、今回の事件を知った上で受験するし、これだけ騒がれたので、当分体罰は陰をひそめると思われます。
受験生には、何の罪もないのです。


2について
このような校風にした責任の一端を在校生になすりつけてるような発言がありましたが、前回のブログで書いたように、教師と生徒の力関係には大きな格差があります。
生徒の立場で、体罰教師に対抗するのは、無理なのです。
大人の責任を、子どもになすりつけてはいけません。


3について
私の母校は、体罰が横行していました。
特に体育教師がひどかったのですが、体育教師の中には、体罰反対を鮮明にしている教師もいました。
その教師は、母校出身の教師で、自分たちの頃には、体罰は皆無と言っていました。
体罰をやっているのは、母校出身者以外の体育教師だと。
このような教師もひっくるめて、全員異動させるのは、かえってマイナスだと思うのです。
胃ガンが見つかった。全部悪いかもしれないから、ついでに肺も、肝臓も、腸も、心臓も全部取ってしまえというのと同じです。


これは、2にも関係します。
校風を作っているのは、伝統だけではありません。
母校出身の教師は体罰をしておらず、他校出身の教師が暴力教師な訳です。
つまり、伝統ではなく、教師その人の属性として体罰性向があるかどうかなのです。


4について
市長自ら、教育に介入できないと言いつつ、予算執行しないと言うのでは、介入しているのと同じです。
給料出なかったり、備品が買えなかったら、学校自体運営できないですもんね。


以上のとおり、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというような橋下市長の独裁は、体育顧問のいじめに匹敵するほどの嫌悪感を覚えます。
それは、市長の権限を笠に着て、何の咎もない子どもたちを犠牲にして教育に介入しようとしているからです。